私が最初に勤めた会社の上司と再開を果たしたときの言葉でした。
その上司と初めてあったのは、上司が自分と同じ年の息子を亡くして1週間後。
私が入社する前日、息子さんが亡くなっていました。
その会社に在籍していたのは、僅か1年半でしたが、
その間、その上司とは毎日のように、どなり合いの喧嘩です。
毎日、24時間その上司と顔をつきあわせて仕事をしているので、
とても『1年半』と言う時間の尺度では測れない時が流れました。
その上司は部長にも拘わらず、第一線で頑張っている古狸です。
間に主任と係長は居たんですけどね。『親子喧嘩』みたいなモンです。
普通の、上司と部下の関係とはかなり違っていましたね・・・
私自身もかなり異質な存在でしたし(笑)
仕事中に映画を見に行って、会社の車をレッカー移動されたり、
酔っぱらい運転で、会社の車を壊したり、会社に女を連れ込んだり
仕事サボってデートに行ったり・・・・
そもそも、24時間バーボンを飲み続けてましたから(^_^;
それでも、仕事は本社からも、発注者からも高く評価されていました。
だからクビにならなかったんですが(笑)
今じゃ考えられないです〜
会社を辞めたのは、椎間板ヘルニアが原因で歩けなくなった為。
腰から下は、麻酔がかかったように針を刺しても何も感じない状態。
会社からは、内勤の仕事もあると引き留められたけど
現場に出られないのは、私にはとても辛く感じ辞めることに。
それから約10年。
その間に私は、三途の川を渡りかけたが
再び此の世に戻って来ることが出来ました。
しかし上司が務める会社は、芦屋にありました・・・
タイトルは、阪神淡路大震災後に再会出来た時の第一声でした。
今回の東北関東大震災で、その事を思い出していました。
「生きてさえいれば・・・・」
それが叶わなかった人が沢山いる。
でも、今、生きている仲間達と再び会う為に、
やっぱり、頑張って自分が生きていかないとね。
そして、笑って再び逢えるように・・・
今はまだ、あまりにも多くを失ってしまって
そんな事考えられないかも知れません。
でも、あなたを必要としている人がいるし
あなたに会いたいと思っている人がいる。
『あなた』が一刻も早く笑顔を取り戻せますように。
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